1 高田屋嘉兵衛のふるさと『淡路島』



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(写真:高田屋嘉兵衛とゴローニン像=日露友好の像)

作家司馬遼太郎に江戸時代で一番偉い日本人と言わしめた
『高田屋嘉兵衛』
また、この時代で「世界に通用する日本人でもあった」と
言及されています


司馬遼太郎はこの人物に惚れ込み
作品「菜の花の沖」をかきあげました

高田屋嘉兵衛とは
どんな人物だったのでしょうか
ここ、『淡路島』は
高田屋嘉兵衛のふるさとであり
「高田屋嘉兵衛顕彰館」でその人生を
知ることができます



 2 北淡をドライブ



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さて、明石海峡大橋を観たあとは
北淡ドライブを楽しもうと思います



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淡路島北部の海岸線を走ります
たくさんの釣り船が獲物を狙って船を流していました


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対岸の明石周辺の街がよく見えます



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 3 高田屋嘉兵衛顕彰館



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高田屋嘉兵衛顕彰館に到着しました



高田屋 嘉兵衛は、江戸時代後期の船乗りであり、回船商人であります
淡路島で生まれ、船乗りとなり、蝦夷地(北海道)・箱館(函館)に進出します
国後島・択捉航路を開拓し、巨額の財を築き、箱館の発展に貢献貢献しました

千島列島を測量中であったロシアの軍艦ディアナ号艦長ゴローニンは
国後島で松前藩の役人に捕縛され、
約2年3か月間、日本に抑留された
いわゆるゴローニン事件
その報復で、高田屋嘉兵衛は
カムチャッカに連行されましたが
後に、日露交渉の間に立ち、
事件を解決へ導びきました


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高田屋嘉兵衛とゴローニンの像




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ゴローニンの部下
副艦長のリコルドとは
人間同士としての
友情が芽生えました



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高田屋嘉兵衛顕彰館





 4 司馬遼太郎の「菜の花の沖」で描かれた高田屋嘉兵衛



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高田屋嘉兵衛顕彰館ではまず
ビデオで嘉兵衛の生涯を学びます



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私の大好きな竹中直人先生が
嘉兵衛役だったので
嬉しくなってしまいました



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嘉兵衛の波乱万丈な人生が描かれます

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館内には菜の花があちこちに咲きます
ここ、淡路島では菜種油ん原料である菜の花が栽培されていました
司馬遼太郎もここから
高田屋嘉兵衛の物語の題名を
「菜の花の沖」としています


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廻船問屋のしごと風景が展示されています




 5 リコルドと高田屋嘉兵衛



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拿捕されたゴローニン館長を探していた
副艦長リコルドは、その消息を聞き出すため
高田屋嘉兵衛の乗る日本船観世丸を拿捕
カムチャッカへ連行・抑留しました
ふたりは同じ部屋で寝起きし
「一冬中に二人だけの言葉をつくって」交渉
この 両者の信頼関係が、後にゴローニン釈放に至る
両国の和解を成し遂げました




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廻船問屋の結界







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リコルドはその著書の中で、嘉兵衛を次のように称えています
「日本にはあらゆる意味で人間という崇高な名で呼ぶに相応しい人物がいる」



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高田屋嘉兵衛肖像画




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ロシアの名産マトリョーシカ


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司馬遼太郎の嘉兵衛を描いた作品
「菜の花の沖」



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ロシア人のリコルドと日本人の高田屋嘉兵衛
それぞれ違う国・環境に育った者同士ですが
お互いに


自己の望み

自己の名誉への義務

友人の望み

友人の名誉への義務

この普遍的な考え方をもち
友情を培い、2つの国を結びつけた功績は
とても大きなものがあったと言えると思います


このことに際し松前奉行の言葉があります

『各国それぞれ相違なる固有の習慣を有しているが
真に正しき事はいずれの国においても正しきものと認められる。』

良い言葉ですね







👇博物館・美術館・水族館大好きです


































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