浅井長政の菩提を弔う三英傑とも所縁の深い寺院「養源院」


妻の人と娘とともに京都「養源院」へと
行ってまいりました

ここは、豊臣秀吉の側室であり
織田信長の妹お市の方の娘でもある
浅井三姉妹
(茶々=「淀」「初」「江」)の
長女「淀君」が
父浅井長政の菩提を弔うために
秀吉に頼んで建立された寺院です

浅井三姉妹については
NHKの大河ドラマ「江」などでも
語られていたと思います


その後、火災に会い、消失するも
浅井三姉妹の三女「江」が夫
二代将軍徳川秀忠に頼み
伏見城の遺構などを
使ってを再建をされた寺院でもあります

そのため関ヶ原の戦いの直前に
「伏見城」にて豊臣方に攻められ
二週間の足止めをして後
自害した鳥居元忠はじめとする
徳川方の武士たちの
血染めの廊下は天井に上げられ
自害の跡が残る「血天井」と
なっています



織田家、豊臣家、徳川家
名古屋の郷土三英傑と
これだけゆかりの深い寺院は
ここだけではないでしょうか

ここは、俵屋宗達筆による
杉戸絵・襖絵も
丁寧な寺院側の説明とともに
目の前で本物が観られることも
魅力の一つであります

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(写真:養源院)

アクセス・三十三間堂の隣に位置します



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三十三間堂の目の前に

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養源院はあります

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豊臣秀吉の側室であり
織田信長の妹お市の方と
浅井長政の間に生まれた
浅井三姉妹の長女淀君が建立し
さらに徳川秀忠の正室でもある
浅井三姉妹次女の江が
再建した数奇な歴史が語られています

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弁財天の鳥居

浅井(あざい)家は古から
琵琶湖に浮かぶ竹生島の
弁財天を信仰しており
ここにも弁財天様が祀られています

👇竹生島についてはこちら






豊臣が建立したお寺に三葉葵


門からは秋色に色づき始めた参道が続きます
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とてもよい天気でありました

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色づき始めた紅葉

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青紅葉の競演


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山道は徳川家の三葉葵の御紋が
掲げられた本堂へと続いています

伏見城の戦い
関ヶ原の戦い
大坂夏の陣
で敵対した豊臣方が
建立したお寺を
徳川が再建するという
数奇な運命を物語ります
それは
浅井三姉妹の
数奇な運命を
示唆するものでもあります


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俵屋宗達の作品がいつでも手の届く距離で観られる貴重な場所


では本堂(客殿)へと
参りましょう
ここからは写真撮影禁止と
なりますので
パンフレットからご紹介します

現地ではお寺の方が丁寧に
絵の説明をしてくださいますよ〜

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まず、玄関で私達を迎えてくれるのが
俵屋宗達作の「唐獅子図」の杉戸絵です

大変躍動感のある作品で
左側には、逆立ちをしている獅子
右側には足を曲げ
いまにも飛び上がろうとしている
獅子の姿が描かれています

左の獅子の左後足は大きく上に伸び
右後足はちょうど腹のあたりに見えます

上方から飛び降りて着地した瞬間を
描いているためです

こうした伸びやかな動きは
隣の三十三間堂の風神雷神像からも
影響を受けているのかも
しれませんね

その目は「八方睨みの目」で
どこに立っていても
こちらを観ているように見え
訪れた人を出迎えて
くれているように見えますし
帰るときには
「ようお参りくださいました」
と見送ってくれているようにも
見えます








生き生きとした「動き」が感じられる杉戸絵


次に奥にある「白象図」の杉戸絵についても
丁寧に説明をしていただけました
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敵に襲い掛かろうと
体を大きく丸く
かがめている左の象
これも動きのある絵ですね

右にはその象を見下ろす
仲間の象が描かれています

背中などに大きく
図案的に描かれた
シワは、遠くから
見ても近くから見ても
動きが感じられるように
工夫されているものなのだとか





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次に紹介されたのは「麒麟」の図
いわゆる動物園にいる
首の長い麒麟と異なる
想像上の動物です
キリンビールのラベルにも
描かれていますね

左の雄「麒」と右の雌「麟」とで
対を成すものであり
これは「鳳」「凰」で対を成す
想像上の動物
「鳳凰」と同じですね


麒麟は
偉い人物が出現する前に
現れるという
言い伝えがあり
大河ドラマ
「麒麟が来る」の
題名にも
なっていますね

先程の白象と麒麟の絵がある
部屋の天井は
「血天井」と呼ばれております

関ヶ原の合戦の直前
徳川方の鳥居元忠らが
留守を守っていた伏見城は
家康らが秀吉亡き後豊臣政権に対して
謀反を企てたとして攻め込まれます

家康の家臣鳥居元忠ら
約1,000人の
武士たちは、関ケ原へと向かう
豊臣軍を2周間に及び
足止めしましたが数で勝る
豊臣方に攻められ伏見城内で
自害するに至ります


自害した後もその亡骸を
埋葬する人々はおらず
関ケ原の戦いが終わって
しばらくするまで
そのままであったそうです
そのため伏見城の床板には
自害した武士たちの血が
長期間に渡り染み渡っていました

その後、忠義を尽くした家臣達の
地で染まった床板を天に上げ
弔うため天井板として
掲げられたものだということです

それが養源院の「血天井」であります
源光庵、法泉院など
京都には他にも伏見城の地で染まった床板を
天井板に転用したお寺が数多くあるそうです

👇先日訪れました正伝寺の縁側の天井もそのひとつです







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牡丹の間の襖絵

加納山楽作の襖絵であります。
写真には写っていませんがこの部屋の
左側にはお江さんが大切にしてきた
弁天様の厨子もあります



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ここ程、歴史を掘り下げて知ることの面白さを
実感できるお寺もないかもしれませんね

浅井三姉妹の数奇な運命
戦国の世から江戸幕府への
時代を作った人々
時代の流れに翻弄された人々の
思いを感じられる
寺院であると思います








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「あ~!面白かった!!」




👆この日はここ養源院をスタートしてこのコースを散策しました。ご参考まで。












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