(写真:『揚輝荘』の象徴・山荘風の『聴松閣』)
名古屋の老舗デパート『松坂屋』
その創始者伊藤次郎左衛門祐民氏が
大正から昭和にかけ構築した別邸が
『揚輝荘』です
私が子供の頃は
もっと広大な敷地であったという覚えがあります
名古屋の高台にある一等地でもあるため
一部敷地が高級マンションなどに
取って代わられるなど開発が
進んだ時期があったのだとか
そのため、現在は、南園と北園に別れており
市の文化財として大切に保存展示がされております。
特に、象徴的な「聴松閣」は
各部屋に趣向が凝らされており
当時の建設様式を目の当たりにできる
大変興味深く貴重な建物なのでございます。
ご紹介したい箇所がたくさんありまして
今日はいつもより写真多めになります。
☝同好の皆さんのブログが紹介されております
👇続く
「揚輝荘」へは地下鉄東山線「覚王山駅」が最寄りの駅となります。
覚王山といえば日本唯一の
仏舎利を収める寺院「日泰寺」で有名ですね
毎月21日には参道において「弘法様」と称した
「縁日」が開催されております。
日泰寺の参道には
様々なお店があり
この界隈は、喫茶店やレストラン、お菓子屋さんが多く
ショッピングやグルメなど、楽しく過ごすことができると思います
仏舎利を安置する超宗派のお寺「覚王山日泰寺」
目的の「揚輝荘」は南園と北園に別れています
まずは、「南園」へと行ってみましょう
南園には山荘風の迎賓館「聴松閣」があります
入館料は300円です
北園は無料で観ることができます
「揚輝荘」の名は、ここ周辺が以前
「月見の名所」であったことから
※漢詩の一部
「春水満四澤 夏雲多奇峰 秋月《揚》明《輝》 冬嶺秀孤松」
から、とったものといわれています。
※漢詩:陶淵明の「四時歌」
春水満四澤(しゅんすいしたくにみつ)春の水は四方の沢に満ちあふれ
夏雲奇峰多(かうんきほうおおく)夏の雲は奇峰のように多く
秋月揚明輝(しゅうげつめいきをかかげ)秋の月は明るく光り輝き
冬嶺秀孤松(とうれいこしょうのひいず)冬の嶺には孤松がそびえる
車寄せでは、次郎左衛門祐民が中国で
買い付けてきた南北朝時代の虎の石像がお出迎え
車寄せの照明は、一枚の面のように漆喰塗りで仕上げられた天井となっています
玄関の床は木を輪切りにして年輪を生かした
寄せ木敷き詰めの技法が使われています
先ほどの虎の石像が見えますね
洋風の部屋に和風の明かり取りなど、
面白い試みが観られ退屈しません
旧食堂
来賓が晩餐会を行った場所です
山荘風のインテリアとなっています
暖炉があり、床には暖房設備も設置されています
食事をしたあと、来賓は地下の舞踏室でダンスを踊り
お酒を酌み交わしたのだとか
現在、この部屋は喫茶室になっており
ゆっくりと過ごすことができます。
サンルーム
採光面積を広くするために半八角形の出窓形状となっています
食堂の壁には当主「いとう」の文字が
食堂の暖炉
暖炉の壁には有名寺院等の古代瓦がはめ込んであります
これは京都「東寺」のものですね。
食堂の床は手斧(ちょうな)の「名栗技法」で
彫りを入れて仕上げられています
この建物の中の床はそれぞれの部屋で趣向を凝らし
全部屋異なる演出がされており
それだけでも面白い趣があります。
居間の暖炉
左右のタイルの目地は金箔で仕上げられています。
贅沢な作りですね
この部屋の床の文様も変わっていますね
それぞれの部屋で異なっており興味深いです
それでは2階に上がってみましょう
階段の手摺には透かし彫りが施されています
透かし彫り
当時は現在のような工具がなかったため
ノミで穴を空け、糸鋸で仕上げたと思われます
1箇所だけ透かし彫りの模様が
反対向きになっている部分があります
探してみてください
これは、モノは完成してしまった時点から、
劣化が始まるため、故意に完璧は求めず
まだまだ、未完成なものとして
今後も発展・完成を目指す
という意味も込められているのではないかとのこと。
2階の書斎
四隅にはステンドグラス調のガラス戸がついています
床は当時としては新しい素材であります
プラスチックタイルがはめ込まれています
広々とした2階廊下ホール
吹き抜け天井には手斧化粧を施された立派な照明があります
伊藤家の家紋の形になっているんですね
懐かしい松坂屋のマークでもあります
暖炉のあるイギリス山荘風の客間
丸窓とソファーは一等船室のイメージなのだとか
次郎左衛門氏は仏教に信仰が篤く、
昭和9年には4ヶ月のインド等へ
仏跡巡拝旅行をしており
そのときに受けた 感銘を
聴松閣で再現したと言われています
インド・ヨーロッパ旅行の
思い出を再現した迎賓館なんですね
中国様式の装飾が施された来客用寝室
床も中国風の雷文様
暖炉上の木鶏も中国様式ですね
天井の鳳凰も中国装飾です
サンルームの床は斜めに板が貼られています
斜めからの照明とあわせ
『斜』をテーマとした部屋なのだとか
唯一の和室であった更衣室
来賓はここで「お召し替え」をしたのだとか
旧トイレの跡
床には美しいタイルが貼られています
さて次は舞踏会が行われた地下へ参ります
舞踏会が行われる舞踏室には舞台も設けられています
舞台室の舞台の扉は切戸口となって
屈んで出入りするようになっています
能や狂言で使用されたと考えられます
舞踏室の暖炉の壁にはカンボジアのアンコールトムに見られる
踊り子のレリーフがはめられています
次郎左衛門はインド旅行の際
タイのバンコクからカンボジアまで足を伸ばしたといいます
舞踏室の南側のガラスにはヒマラヤ連邦が描かれています
とても綺麗でしばらく見入ってしまいました
舞踏室の脇には不思議な小部屋があります
壁面には美しいタイルと
中心にはインド風の女神像がはめこまれています
さらに地下からは、地下通路への階段があります
過去には長さ170メートルの地下トンネルがあり、
戦時中は防空壕の役目も果たしていたのだとか
なんのために作られたのか不明ですが
アジャンタ石窟寺院の写しとも言われています
お釈迦様の誕生にまつわるシーンが描かれた壁画
すぐ隣の日本とタイの友好を象徴する日泰寺といい
アジア仏教との深い関わりを感じます
治郎座衛門祐民は財界人としてだけでなく
国際交流をはじめとする社会活動にも取組んでいました
そのため、揚輝荘は単、個人の別荘だけでなく
アジアの留学生の交流の場ともなっていたのであります。
さて、南園をあとにして
北園へと向かいます
昔は大きな敷地でしたが、現在は南と北園は
細い通路でつながっています
マンションの住民の方の好意で往来できるようになっている
とのことですので住民のプライバシーを守るためにも
写真撮影は遠慮した方が良いですね
物音には注意を払って通行してくださいませ
マンションへの入口横にある「北園入口」
「伴華楼(ばんがろう)」
バンガローの洒落ですね
ここには、松坂屋関連の資料が展示されていました
松坂屋の懐かしの家紋も
今日では大丸と合併してしまいましたね。
名古屋人にとっては、デパートといえば「松坂屋」
という時代もございました。
「オリエンタル中村」ってのもありましたね
「オリエンタル」の発音は名古屋弁の
「やめれ~せん(やめられない))」と同じ
抑揚でした。
15代伊藤次郎左衛門の胸像
「豊彦神社」
中国風の「白雲橋」
天井には龍の絵が描かれています
「揚輝荘(北園入口)」
それぞれの建物や部屋に
趣向が凝らされており
なかなか楽しい
近代建築めぐりが楽しめますよ
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