
(写真:堺の旧港地区から東へ歩くと港と市街地を分ける水路があります)
せっかく堺の街まできたのでもうすこし、市街地を散策いたしましょう。
堺の市街地へ向かって、港から東へ足をすすめると大きな水路があり、環濠都市であった堺を偲ばせます。
堺の街は、日本の歌人であり作家であり思想家の「与謝野晶子」を生んだ町です。
『君死に給うことなかれ』の作者として有名ですね。
そしてもう一人有名なのは堺の商人であり茶人でもある「千利休」ではないでしょうか。
町を散策すると、彼らを偲ばせる様々な足跡を観ることができます。

堺の中心街。市電が走る広い道路ですがその向こう側の空き地は
「与謝野晶子」の生誕の地だということです。

道路に生家跡と記されていました。

晶子の有名な詩「海恋し潮の遠鳴りかぞへては少女となりし父母の家」の碑が建てられています。
まさに、この生家が「父母の家」なんでしょうね。
まさに、この生家が「父母の家」なんでしょうね。


しばらく南下すると「さかい利晶の杜」という博物館があります。
「千『利』休」と「与謝野『晶』子」を知ることができる博物館です。
堺の街の歴史も同時に知ることができる展示となっておりました。

1階エントランスには昔の環濠都市「堺」の地図が床に大きく設置されています。

さすがは茶道の街
隣接して茶の湯を楽しめる茶房があります。
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さらに、館の道を挟んだ東隣には

千利休の屋敷跡があります

もともとはとても大きな屋敷であったのですが

井戸など一部が残されています。
利休はこの井戸で汲んだ水でお茶を淹れたのでしょうね。

では、入館料300円を支払って館内へ

1Fが利休
2Fが与謝野晶子の展示となっています



まずは、堺の歴史から

ゆかりの茶道具も展示されておりました。

2階は与謝野晶子の展示となっています
晶子が、歌人として、思想家として素晴らしいことが良くわかる
展示でありました。
また、本の装丁にも凝っていて
本のデザインの大切さなど、いまに通ずるこだわりの才を発揮していたことがわかります。
結婚相手の与謝野鉄幹が「妻を めとらば 才たけて みめ美わしく情けある」と
歌ったくらい、素晴らしい奥様でもありました。

与謝野晶子の生家はお菓子問屋でした
裕福な家庭だったんですね。

館の2階の窓からは

先ほどの利休の屋敷を上から観ることができるようになっています。
さ、次です。
堺と言えば「クフ王のピラミッド」、「秦の始皇帝陵」を凌ぐ、世界最大のお墓「仁徳天皇陵」がありますので観に参りましょう。
(次回へ)
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