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(写真:別名「烏城(からすじょう)」と呼ばれ黒メインの外壁が美しい国宝「松本城」)

 先日、会社の先輩と城の話になり、「松本城は中に入ってこそ、その城の成り立ちを感じ取れる。まさに戦うための城だ」と話されていました。

長篠の合戦以降使用されるようになった新兵器「鉄砲」戦に対応した城であることがとても良くわかるとのことでありましたので、昨年カブで訪れたばかりではありましたが、今年はNC700Xで、松本を再訪してみることといたしました。

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▲①嫁さんも息子たちもまだ寝ている早朝出発。近所のマックで朝食をとり出発です。


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▲②国道19号をのんびりと松本に向けてさかのぼります。途中の紅葉が綺麗でした。

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▲③松本城に到着。

 戦国時代永正年間に造られた「深志(ふかし)城」が始まりとなる「松本城」400余年の歴史を刻み、今もその雄姿で魅せてくれます。

 1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐の結果、徳川家の関東移封が行われ、当時の松本城主小笠原秀政も下総古河へと移りました。

代わりに豊臣方の石川数正が入城し、天守を始め、城郭・城下町の大改築を行いました。「烏城」と呼ばれる今の天守閣の色は、その時に生まれたものと考えられます。

「城の色」は徳川家康と豊臣秀吉のどちらが関わったかで決まると言われおり、徳川方のお城の色は「白」、豊臣方の城は「黒」を基調としていたからです。

現存する五重六階の天守の中で「日本最古」の城で「国宝」として保存されており、漆黒の壁板が白いアルプスの山々に映えて見事な景観を見せてくれます。

 

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城の近くに駐輪場も整備されています。

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▲⑤バイクは1回100円です。

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▲⑥入館料を支払って場内へはいります。

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▲⑦パンフレット

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▲⑧立派な門をくぐって城内へ

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▲⑨母屋部分より一段低くなった「武者走り」と呼ばれる天守閣1階部分。戦いの最中にはここを侍たちが走り回るためこの名で呼ばれるようになったのだとか。


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▲⑩「石落」石垣を登る敵兵に石を落としたり、熱湯等をかけたりして、天守を守る装置。戦いの主要武器が鉄砲となった戦国末期にはここから這い上る敵兵に火縄銃を撃ったと考えられています。

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▲「石落」を外からみるとこうなっています。松本城には渡櫓・乾小天守・大天守各一階に合計11か所の石落が備えられています。

 松本城の天守閣が築造されたのは、1600年の関ヶ原の合戦以前であるため、前述のとおり武装強化がされている城となっています。弓や鉄砲を発射するための狭間の数が多いのもそのためです。小さい狭間が「鉄砲狭間」、長方形の狭間が「矢狭間」です。狭間は内側が広く、外側が狭くなっています。

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▲⑪鉄砲狭間

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▲⑫矢狭間

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▲⑬「鯱瓦」大天守につけられていたものです。鯱は火災の際に水を吐くという想像上の魚で、口が空いているのが雄、閉じているのが雌です。

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▲⑭「竪格子窓」ここからも火縄銃を撃ったと考えられています。

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▲⑮天守閣の階段はとても急になっています。これも戦うための工夫でしょう。

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▲⑯格子窓にはガラスなど一切はめ込まれておらず、当時のままの姿を見る事ができます。

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▲⑰天守閣からの眺め。アルプスがそびえます。

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▲⑱「二十六夜神」元和3年(1617)松本に入封した戸田氏が祀ったと言われています。屋根裏を見上げると太い梁が井の字の形に組まれています。

四方へ出て軒をつくる垂木の下に、さらに太い桔木が外側に向かって放射状に配置されており、天守最上階の重い瓦屋根の軒先が下がらないよう、テコの原理で支えているためです。

 

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▲⑲「花頭窓」禅宗の寺院にみられる窓で、中国から伝わり、城郭建築にも取り入れられるようになったとのこと。

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▲⑳鉄砲戦を想定した城ということもあり、鉄砲のコレクションも一見の価値ありです。

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▲㉑鉄砲の弾薬の準備は女性の仕事であったのだとか。

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▲㉒「月見櫓」戦いのない江戸時代初期に築造されたため、戦いに備えて造られた天守とは大きく異なる。

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▲㉓月見櫓からの眺め

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▲㉔この日は天気も良く、城の向こうには雄大なアルプスを見る事ができました。

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▲㉕松本市立博物館も入城券とセットになっています。

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▲㉖松本市の歴史などを知ることができます。


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